13年越し

アンナチュラル第7話


「殺人遊戯」


子供の遊びだと思ってた

遊びだったら許されるの?


「被害者が『いじめ』だと思ったら、それはもういじめなんだよ」

どこかでそんな話を聞いた


小2の時、いじめられた

仲の良かったクラスの女の子3人に、

休み時間に仲間はずれにされたり

戻ってくるね!と言いながらそんな気はさらさらなく、トイレで3人で私の悪口を言っていたり、無視されたり

(今思うと、小中のトイレは綺麗だったから溜まり場になりやすかったのか。高校のトイレは汚くて、悪口を言うために隠れる場所では全くなかった。もちろん、そんなことをしない人がいる高校を選んだと言うのもあるが)

肉体的ダメージを与えられたわけでも、正面切って悪口を言われた訳でもないけれど

些細なことかもしれないけれど、私はいじめだと思った


「いじめられる側にも、いじめられるだけの理由がある」

当時を振り返ってみると、もしかしたら私が悪かったのかもしれないと思う

私は何かの理由を自分にあると考えるけれど、それは形成されたものだったのかな


何か波長が合わなかったのかもしれない

何か変なことを言ったのかもしれない

それでも私はいじめだと思った

仲が良いと思っていたから、何も言えなかったし


ただ3年生になってのクラス替えを待って

もう人間関係で失敗しないぞと思った記憶がある


クラス変わると、もう4人で集まることもなかった

私をいじめていたのに、何事もなかったように過ごしたなあ 3人とも


何かのきっかけで、いじめだと思ってたよって、リーダーの子に手紙を書いた記憶がある

謝罪の手紙をもらった気がする

「いじめだと思わなかった。でもごめん」


そのリーダーの子とは、中学生で同じ委員会になり 何事もなかったかのように、それなりに仲良くした

なんで許さなきゃいけないんだろうと思ったけれど、許したのか分からない

きっと、いじめられても私はその子のことを嫌いになれなかったんだろうな 嫌いになれれば楽だったかな


その時は、私が大人にならなきゃと我慢していたのかな 我慢することが、大人だったのかな 

「あんなこともあった」と、私は笑って話せているのだろうか


アンナチュラル第7話で、

「いじめた人は、いじめられた人の痛みを理解しない」

みたいな台詞があった


「遊びだと思った」

「こんなに本気にして傷つくと思わなかった」

こんな言葉が許される社会でありませんように

我慢しないで、怒れる社会でありますように


本当に忘れないドラマになる

私の13年越しの思いの、書くきっかけを与えてくださったありがとうございます

野木さん、塚原さんはじめスタッフさん、

全幅の信頼を寄せています

あと少し、本当に寂しいですが、楽しみにしています。